福島発・東日本大震災・原発事故についての投稿ばかりになっちゃいました

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■震災・原発関連

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誰も言わないけど、福島だから・・・。

誕生日、心優しい友人たちから頂いたメッセージは、”笑顔になれる一年になれますように。”

そうだな。あたしはもう随分ホンキで笑ってないと思う。
友人たちの言葉は、自分の眉間の皺が深くなっていることを思い出させてくれた。

しかし、毎日流れるニュースは、眉間の皺を取り除いてはくれない。


先日は、高市政調会長の「原発事故による死亡者はいない」という言葉に、耳を疑った。
いつの間にか議論もないまま、原発再稼動ありき・・・という道へと路線を変えた自民党。
アベノミクスだ、ダメノミクスだと、一喜一憂する報道。

ほんとに、スゴいよな。変わり身が・・・。

しかし、福島で起きたこと、現在も続いていることが、
舞台が東京だったらどうだろう。大阪だったら?
私が今夢にまで見る、帰りたい、大好きな鎌倉で起きたことだったら?

東京の街に、立ち入ることができないほどのエリアが今もあったら?
多くの人が訪れる古都鎌倉で、子育てするのが不安な放射能があったら?
横浜で、自分の大切なものを捨てて逃げなくてはならなかったら?


きっと、こんなことにはなってないんじゃないかな。

そう、悲しくて、とっても不幸なことだけど、
これは、東北の一地方、福島で起こったことだからじゃないのかな?
これは、福島の人も言わない、全国の人も言えない、でも真実じゃないのかな。

沖縄も同じことかもしれない。





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福島市の家除染リポートその2(庭の除染)阪神大震災の恩返しだと・・・

建物の除染が完了してから3週間になるだろうか。
私の家とその周辺ブロックの除染作業は続いている。

今日は日曜日なので、久しぶりの静けさだ。くる日もくる日も続く除染作業の中で
私は仕事をしたり、家事をしたりしている。つい気持ちが落ち込み、リポートもできなかったが、
今日はやっとブログに向かっている。


2012年10月5日。私の家の順番の日。
朝8:30に10人くらいの作業の方々が家の庭に集結し、一気にスタート。

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園芸が大好きな私だけど、草むしりすらせず、放置していた荒れ放題の庭。

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▲事前に、残しておきたい植物などのリストや場所を申請しているので、
作業の皆さんが、それに基づき手際よく上部の土を手作業で除去しはじめる。

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▲鎌倉の庭からわざわざ持ってきた大切なクリスマスローズも、細やかに保護してくれた。
ひとつひとつ手作業で、汚染された土を取り除いてくれる、大阪のクマのおじさん。(私が勝手にそう呼んでいる。)

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▲あらかた手作業が終わると、クレーンが入り、汚染土を地中に埋める準備をし始めたようだ。
うちの場合、写真奥の場所に埋めることになっている。


汚染土を敷地内に埋めることについて
この家の所有者の方は、大変心配しておられたようだ。
当然だ。
自分の家の敷地内に汚染物を埋めねばならないという
現在の状況を、わがこととして考える責任が日本人全体にあるのではないか。



さて、短いお昼休みを挟み、次の工程。

作業の責任者と思われる方が私に相談をしてきた。

「地面の中が想像以上に固く、これ以上堀進められない。
だから汚染土は、自分たちが確保している別の場所へ埋めるが、承諾してもらえるか?」

とのこと。
結果的には、敷地内に埋めないという、所有者の方が喜ぶ形となった。
作業者の方へたずねると、そういう硬い地盤の家も1割くらいあるのだという。

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▲行き場を一時失った汚染土。全てうちの庭から出たもの。
白い箱1こを私は持ち上げることができない重さだ。

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▲それら、一時退避する汚染土を、また別の入れ物に。青い袋のようなもの。これが2個。
1つずつクレーンで運んでくれた。
クレーンの後ろを学校からの帰り道だろう、小学生の男の子が通る。


↓AFTER!!
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▲汚染された土が全て除去された庭。

正直、1年半の私の澱んだ心が取り除かれた気すらする、すがすがしい光景だった。
作業が終わったのはPM5時近く。

こんな作業を1軒1軒、続けているのだ。


除染リポートその1に続き、担当してくれた作業者の皆さんは大阪の別チームの面々。

リーダーと思われる方は神戸の方だった。
彼は、かなりキツい口調で、作業者の方々に指示!指令を下していたが、
私と並んで、この汚染土の入った青い袋を眺めながら、

「阪神の震災のときに、福島のひとが随分助けてくれたんですわ。
だからね。その恩返しみたいな気持ちなんですわ。」

当時私は編集の仕事で、震災1ヵ月後の取材をしたことを思い出した。
目に見える形では、仙台で被災したときの何倍もの建物被害・・・崩れ落ちた家々を見て、
言葉を失ってしまった若き自分を思い出す。

くる日もくる日も、自宅に帰ることもできず、
除染作業に取り組んでくれている、大阪神戸の親愛なるオジサンプロ軍団の、明るい笑顔に
騒音の中で、「ありがとう。オジサン!」

せんべいやカリントを食べてもらいながら、

「除染」という作業の中に、いろいろな人の思いを感じざるをえない。




福島市の家除染リポートその1(建物の除染) 本来誰も経験してはいけないこと。

震災から1年半。
福島市で私が暮らす借家の建物の除染が完了した。

公園などの共有施設は、既に除染は終わっているものの、家屋ひとつひとつの除染は、大変な工程がある。

神奈川に帰ると、「除染ってどんなことするの?」と聞かれることも少なくない。
たしかに「除染」などという体験をするひとは、日本全国の中でも多くないだろう。
多くなってたまるか。もう、二度と、こんな経験をする人が増えてはならない。

福島市を脱出したいと考えている人が、現在も34%いる

という市民意識調査結果が出たばかりだ。

福島市の除染はまだ始まったばかり。
まだまだ苦悩の日々を送っている人はたくさんいる。
だから、楽しい話ではないけど、記録しておく義務が私にはあるような気がして、せっせとブログを書いている。


さて、リポート。

除染に関する説明会が行われたのが3月。本格実施は、その半年後となった。

時期が決まってからも、本格実施までの工程は数多い。




1.庭の樹木等の剪定等のアンケート調査
2.除染前の土地の測定
3.除染前の屋外線量の測定
4.除染前の室内線量の測定(立会い)
5.除去した汚染物の保管場所の相談

うちの場合は、借家なので、所有者の方への確認などもこの間にあった。
福島県外で暮らしているという所有者の方も、立ち会いたかったようだ。そりゃそうだろうね。
だって、汚染された土などは、敷地内に保管となるわけだし。





担当業者の選定にあたって、結局は大手ゼネコンが落札し、地元福島の業者が入れないといった問題点も話題になったけど、私のブロックもまた、大手ゼネコン2社の共同体。

↓以下、Before 2マイクロシーベルトを超える数値だった場所
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↓以下 After(除染後の線量の測定は後日予定されている)
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▲どうしても放射能がこびりつくというコケもキレイに。

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▲溜まっていた落ち葉も、汚染の高いところだったが、全てキレイに。
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▲曇っていた駐車場の屋根もクリアに。透けて見える曇空すら爽やかに感じられる。


↓作業は、クレーンを使ったり、細かいところは手作業でふき取ってくれ・・・
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↓洗濯や、布団干しもためらっていたベランダも窓枠もピカピカになった。
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担当してくれた人たちは、ほぼ全員大阪のひとだった。

何人かの方にお話を聞くと、

”福島に行くことをご家族に反対された・・・”という。でも、丁寧に状況を説明して説得してきたという。
福島の夏が大阪より暑くて、堪えた・・・と言っている人もいたなぁ。


人懐こい大阪のひとたちは、作業の中でもみな私に声をかけてくれ、「もう安心ですよ。」と笑顔で言ってくれた。なんだかつい涙が出そうになってしまう。

1軒の家を除染するってことは、大変なことなのだ。あらためてそう思う。

福島の求人チラシには、
『除染作業者募集!!高収入!』などという文字が躍る。


本当に本当に、こんなこと、もう二度と起こってはならないのだ。


庭の除染は10日後あたりに予定されている。





放射能のある生活に慣れていくということ、怒るのに疲れていくということ。

あれから2回目の夏が近づいている。

私もまた低線量被爆をし続けているのだろうなと、ふと思う。
もちろん、ふと、、、なんて軽めの感情ではないんだけど。


HPを担当している「福島の子どもを守りたい セーブわたりキッズ」というグループには、
夏を控え、子どもの保養や避難を企画しておられる団体からの情報や、
様々な支援情報があらためて寄せられている。

今日は動画とともに、福島の子どもを心配する声をいただいた。



情報をいただくたび、ふと、いや、ハッとするのだ。

この世の不条理に怒りを保ち、発信し続けることは大変なエネルギーだ。
世界中に不条理が満ち満ちている。

福島市周辺に暮らし続ける人たちは、”ふくしまのことを忘れてほしくない”と思いつつ、
憤ってばかりいる毎日に疲れ、平常を取り戻そうとしている。

私自身も最近は、仕事と自身のことで、福島のことを考えないようにしているかもしれない。
とっても疲れるからだ。
県外の友人と会っても、福島の話題は相手の顔を曇らせてしまうことがわかるから、
話題を変えるようになってしまった。


首相官邸の周りに集まる原発再稼動反対のデモは広がり続けているというけど、
福島市は静かなものだ。当事者ってそんなものなのかな?

”この土地で暮らすなら、安心な九州野菜を ”

なんて、チラシが入ってくる。
なんだか、あきらめちゃてる感を感じてしまうのは、あたしだけなのかな?


だけど、この動画の数値に、つい愕然としてしまう。





このまま、放射能のある暮らしに慣れていってしまっていいのか?
どうせ、福島のことなんて他人事だろうから、、、なんてブツブツ言ってていいのか?


低線量被爆の結果が出てくるのは先のことだ。

オトナはいい。あたしみたいなのは特にどうでもいい。
元々お酒とタバコで大いに汚染されている身体だ。子どももいない。

でも、子どもは自分の環境を自分では決められないもんね。

福島のオトナが怒り続けるエネルギーを失ってはダメなんじゃないかな。

被害を受けたことに慣れてしまうこと・・・・
なかったことにしてしまおう、

と思うそのことに、強い危機感を覚える。未来はどうなるのだと・・・。

どうすればいいのか、わからないんだけど。



たまには友人たちのこと。3.11 美味しい食糧支援?

横浜にいる。

福島にいる夫から、

”今日もまた大変な大雪で、これから家の車庫に入れるかどうか・・・”

悲壮な声で電話があった。

春の雨に癒されて、春らしいブルーのスカートなんぞを物色していた私。
思わず申し訳なく思う。そしてあらためて福島との距離を思う。

首都圏と被災地は、新幹線に乗ってしまえば、ちょーっと居眠りしている間に到着してしまうほどなのに、
その日常、抱えている難題はまるでちがう。ガレキの問題も然り。

さて、話変わり、こちらでは防災グッズを随分と見かける。
3.11を目前に売上げはうなぎのぼりだという。
中でも、ただのカンパンとかそーいうんじゃなく、ちょっと美味しいもの。が好評だそうだ。

これ、当たってますね。経験から。

避難所でも自分の家でも、毎日毎日米とパン。
「お腹はいっぱいになるんだけど。」って申し訳無さそうにパンを残している方を随分見かけた。


震災から、このブログに思いをぶつけてきたわけなんだけど、
支えてくれた友人たちのことについては、全く触れてこなかった。


実は当時、ダメ主婦の私の家には備蓄食料があまりなく、
しかも、近くに避難してこられた南相馬の人たちに、ありったけの食べ物と
あったかグッズを持っていってしまった為、米すらなくなってしまったという状況だった。

そんな中で、友人たちが送ってくれた食料や物資が、私たち夫婦の心を慰めてくれた。

で感謝をこめて今頃発表!
愛すべき友人たちが工夫し、知恵を絞って届けてくれた、忘れられない救援物資ベスト10!ん?11個以上。

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1.三陸産のワカメ
  ⇒かなりの数の友人がこれを送ってくれた。放射能にいいと聞いてのことだろう。

2.美味しいクラムチャウダーのスープほか、輸入食材の数々。
  ⇒具沢山の贅沢な缶詰は、私の好みを考えて、しかも身体を温めてという優しさだったろう。

3.ビール
  ⇒水が無いのに、震災真っ只中なのにビールは呑むであろうという、有難くも的を得た救援だった。

4.参鶏湯、京都の漬物一式
  ⇒これも嬉しかった。おかずが手に入らなくて毎日おにぎりばかり食べていたからな。

5.東北の米と味噌
  ⇒なんだか優しさを感じたなぁ。あえて東北のものを選んでくれたんだろう。

6.贅沢なトマトジュースやスイーツ。
  ⇒これまた嬉しかったなぁ。実は1ヶ月くらい野菜らしいものは食べれなかったので。しかも上等。

7.目玉おやじのレアグッズと手づくりのぬいぐるみ
  ⇒これは、もともとのブログのお仲間が(もちろんお顔も知らないのだけど。)二人で共同で送ってくれた。
  被災した辛さを忘れるようで、これまたグッときた。

8.美味しいダシと佃の昆布の佃煮。
  ⇒わざわざ佃に行って送ってくれたのだろう。実に絶品だった。ご飯のお供。

9.水に溶ける生理用品
  ⇒すごいなぁ、こういうのあるんだね。とっても助かった。

10.水、水、水。
  ⇒各地の名水に随分と救われた。南相馬の人たちにも渡せたし。

11.車の携帯用充電器と使い捨てレインコート
  ⇒20Km圏内に入るために用意してくれた。
  優しさから、あぶないことはしないで!と心配してくれる友人もありがたいが、
  やるならやってこい!と言ってくれる友人もまた有難い存在だ。

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+


ああ、いっぱい思い出してきた。

「母のような気持ちで選びました。」とメッセージを入れてくれた友人、
手づくりのジャム、うまいチョコ、そして、生々しいようだが現金も有難かった。受け取るのも大変だったけど。
そしてそして、たくさんの電話、メッセージ、笑顔の写真。犬猫の治療費等への寄付。

中には付き合いも途絶えがちだった友人もいた。

3.11は、まだ全然終わってない。
長い道のりなんだろうと思う。「絆」なんて言葉でいい話にして片付けられたくない気持ちもある。

でも、たしかに3.11は、私に、友人の存在を教えてくれた。

皆さん、ずっとありがとうと言えなくてごめんね。

なーんか、美しすぎるな。この終わり方。









  

ゼロか100か、じゃなくて、ゆるやかな避難のかたち。考えてみませんか。

福島に暮らしている毎日が、どれほど当たり前の暮らしではなく、異常な状態であること、
私だって、ここにいなければわからなかったかもしれない。

子どもを抱えたママの気持ちなど、それこそわからないかもしれない。

毎週のように子どもを県外に連れていかざるを得ないお父さんと話をしたが、
本当に疲れておられるようだった。

特にこの季節、山形方面は峠越え。街灯もない雪道をそうそう往復できるものではない。

除染も進まない、除染してもまた数値が上がる、
大体仮置き場がない、
避難したくともできない、
自主避難して家族バラバラ。お金だってもうないよ。

小さな子ども、可憐な中学生の女の子、赤ちゃん、外で遊びたいのに我慢しなくてはならない少年たち。
彼らの姿をときおり見かけると、私の心は張り裂けそうになるときがある。




▲報道ステーションの古館さんがリポートしたあとも、状況は変わっていない。


~自主避難するか、福島にとどまるか、故郷に戻るか、サヨナラ福島か、

そんなゼロか100か、っていう決断ばかり迫られてきた福島の人々だ。

どっちを向いても、困難が立ちはだかる。

福島に手を伸ばしてくれるのは、政治家でも官僚でもなく、普通の心あるひとたちだってこと、
震災以来何度も感じてきたことだけど、今度もやっぱりそうだ。


簡単に進まないのなら、今の手段として、もう少しゆるやかな避難のかたちを探してみようよ、と
様々なアイデアが生まれていることを知った。

  ”疎開・プチ疎開、待機避難(除染が完了するまでの一時避難)”

福島を少しの間離れて、また戻る、また離れて、また戻る。

そんな疎開や避難のかたちを実現させるべく活動を続けておられる方々の話を聞いた。

”こっちでゆっくりしなさいよ!” と声をあげてくれる人々が全国にたくさんおられることも知った。




福島を離れることで、体内に蓄積した放射能を低減させることができるのだそうだ。
チェルノブイリでも同様のことが続けられているという。

支援団体の方が、こんなメリットを話してくれた。


  子どもが福島を離れ、見知らぬ土地へ疎開する。
  そこで、新しい体験をして、新しい人々と出会う。
  完全に福島を離れるわけではないから、福島から逃げるのか、といった後ろめたさも必要ない。
  ある意味、異文化との接点は、子どもを大きく成長させる。
  親にとっても、子離れのよいチャンスになる。




そんな様々なプロジェクトのひとつが、いよいよ今日からスタートする。

その名も
「わたり土湯 ぽかぽかプロジェクト」

不思議なことに、同じ福島市にある土湯温泉町は、線量がとても低い。
そのことを利用し、

平日、週末、などを子どもや妊婦さんが一時避難をするという企画だ。
もちろん、福島市内なので、転校の必要もない。学校までの送迎も予定されている。
温泉の保養効果は、オトナにとっても有効だし、なにより、現実的で具体的だ。

温泉大国福島ならではのすばらしいアイデアの発案者である
Save Watari Kids” というチームの代表の頭の中にはかなり前からあったという。

東京など、様々な団体の協力、そして全国の人々の寄付により実現に至ったのだそうだ。
私の友人も寄付をしてくれた。ありがとう!

★→ 詳しくは Save Watari Kids のホームページに掲載されている。★


今のところ、福島市でも特に線量の高い、渡利、大波、小倉寺、南向台のエリアの人が対象だけど、
ゆるやかな避難のかたち、考えてほしい。

非力ながら、私も現在この団体の活動に加わっている。

今日も雪。
元気に子どもたちが雪遊びをし、オトナたちも、放射能を忘れる週末となることを心から祈りたい。

あらためて「避難」の現実。イチという犬とその家族から。

イチという犬の縁で、交流の続く飼い主であるご家族のその後を、記事にするつもりが、
6ヶ月という時間が経ってしまった。

この間のことを説明することは省くけれど、私は福島と避難先である横浜を
いったりきたりの生活を続けている。

イチの家族よりおハガキをいただいた。



南相馬市のこの一家は、現在、南相馬市の仮設住宅に暮らすお父さん、おばあちゃん組と、
避難先である福島市で暮らすお母さんとお嬢さん組・・・という家族バラバラの生活を
余儀なく続けておられる。

避難先である福島市もまた、汚染の真実が日々深刻になっているという皮肉。

ハガキをくれたお母さんは、とても怒っていた。南相馬市に帰らざるをえなくなったという。

「今、いきなり解除(避難)といわれたって、除染も進んでいない。
学校再開したといわれたって、宿舎も作るからと言われたって、進んでいない。
4月に戻るしかないけど、勝手過ぎる。家族4人で暮らせるアパートだって無い。」

憤りも不安も痛いほど分かるだけに、返事の言葉が浮かばない。

新年明けて、福島は、ずっとずっと深刻だ。
首都圏のテレビでは、もう福島の「フ」の字も聞こえてこない日もあるというのに。

「避難」をとりまく本当のこと。

私と私のまわりの人々の中にその一つがあると思う。

首都圏での温度差というマイナスを日々感じながら、
首都圏のパワーというプラスを感じながら、

私はあらためてそのことを考えている。
 

イチという犬とその家族の今 ~(南相馬市小高区の一家の聞き取り1)

この子の名前はイチ。

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南相馬市小高区の一家の飼い犬。

震災以来、福島の被災犬猫の保護・治療に尽力し続けておられる伊達市の獣医さん、
愛知県から数回に渡り、福島へ足を運んでもくもくと保護活動をするボランティアのTさん、
そして、飼い主さんご本人たちの連携により、無事保護された犬である。

愛知のTさんは、日が落ちる寸前までイチを探し、この写真を撮影してくれた。
結局その日は保護できなかったが、
そうしたボランティアの熱意に、
それまで、あきらめるしかないと思っていた飼い主さん一家が自ら動き、イチは助かった。

「イチを助けてくれてありがとう。皆さんは私たちの希望を見つけてくれました。」
と丁寧なメールを頂戴した。

その後ご家族がどうしておられるか、気がかりでもあったので、
福島市内のホテルに避難生活を送られている飼い主さんに会いに行った。

飼い主さん一家は、おばあちゃんとその息子さん夫婦、その長女の4人。

海に近いお宅は、6年前に新築したばかりだが、イチもまた、そのときにこの家族の一員となった。

ホテルの部屋に通してもらい、顔を合わせると、お婆ちゃんは繰り返しお礼の言葉を口にしてくださったのち、
堰を切ったように、あの日の出来事を話してくれた。


畑仕事をしていた彼女に襲い掛かった津波
高台に逃げるも、波に飲み込まれ、背中を怪我したこと、
幸い近くの人に助けてもらい命が助かったが、周囲にいた人は何人も亡くなったこと、
その後、避難先を転々としたこと、
4人の家族が連絡を取り合い、合流できたのは4月になってからだったこと・・・。


「家に帰りたいです。もし家が30Km圏内なら、すぐに帰ります。
あのあたりはね、夕方になると海風がすうっと吹くんですよ。」

お婆ちゃんは、南相馬市小高で生まれ育った女性だ。
戦争も、結婚も、子育ても、全ての思い出はそこにある。

お婆ちゃんの最近の楽しみは、近所の仲良しグループで、畑仕事をして、おしゃべりをして、
たまに皆でお風呂に入りに行くことだったという。

仲良しの3人は、未だどこにいるのかわからない。
2人は、亡くなった。

(続きは次回)


大阪の方のご好意。避難所の子どもにおもちゃのプレゼント

すっかり報告が遅くなってしまった。
震災後、私のブログを読んでくださる方より、温かいお申し出をいただく機会が多くあったが、
今頃ご報告しようと思います。


避難所にいる子どもたちに、宝探し感覚の、おもちゃのプレゼントをすることができた。


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▲おーい!キティちゃんあるよー。と声をかけたときの、子どもたちの表情といったら・・・。

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▲避難所前の広場でキャッチボールをしていた男の子たち。
ボールやグローブを放り投げて、全力疾走で集まってきた。
「大阪からだって!!」という声も。

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▲おじいさんも、ニコニコと笑顔でクッションを選んでくれた。→子どもと取り合いになってた(笑)


こんなことを提案してくださったのは、大阪の方。

女の子向けには、キティちゃんグッズ。男の子には「ワンピース」グッズ。
そのほか、たくさんのぬいぐるみや、クッション(ご高齢の方にと)を、どっさりと送ってくださった。


ご自身も阪神の震災体験者であり、今回の震災で「何かできることはないか。」と心を砕いてくださっていたのだという。シングルマザーで二人のお子さんを育てた女性。
年季の入ったキティラーとのことで、大切なコレクションの一部を、寄付してくれた。


彼女は、ご自身のお子さんにも、”サプライズ・プレゼント”を大切にしていたのだと話してくれた。
どんなにちいさなおもちゃでも、
「目をつぶって手を出して!」と言って、プレゼントするのだそうだ。

こんなお母さんに育てられた子どもは、きっと、粋なオトナになるだろうな。

彼女は、私を通して、被災者の子どもたちにメッセージを送れることを、
「クネさんは、私の救世主なんよ。」
という言葉で温かく和ませてくれた。
恐縮する私を、悩ませないための思いやりの言葉だったろうと思う。
関西弁ってこんなとき、とりわけ心に染みる。


そのほかにも、私へのプレゼントが同封されていたが、
母として女性としての気配りを感じるものだった。


彼女のような人が、日本にはいる。

そんなことを知ることができたのも、皮肉なことであるが震災を体験したためだ。


あらためて大阪のSさん。ありがとうございました。
避難所から学校に通う子どもたち、そして、彼らをとりまく大人たち、
皆、笑顔になってくれましたよ。






ガンバロウはもういいよ。被災地に流れるCM みちのくの優れた詩があるではないか。

なりふりかまわず、この2ヶ月を過ごしてきた。

久しぶりに鏡を見たら、アゴから意味の無い毛が伸びてるわ、
なんだか悲惨なコトになっているわけで、

だからといって、ビューティーサロン?に行く気分にもならず、
いきなり1000円代でカットをしてくれる床屋に、生まれて初めて行ってしまった。
それはどうでもいいんだけど、

どうしたって、福島県。
被災の状況についての話題になる。

床屋さん、言ってました。
「フクシマガンバレ。東北ガンバレ」。うんざりするって。
『お客さん、みんな言ってますよ。』

そうそう、あれね、堪えるのよ。結構。
特に、福島県。ガンバレって言われても、どうがんばるのさ。放射能相手に。


福島では、相変わらずTVは被災地モードなわけだけど、

SM☆Pなんかが、「あなたはひとりじゃない」とか、
アンパンマンが、「辛いときは、よかった時ののことを思い出そう」

なーんて言ってくれるわけだけど、それってなんだかピンとこない。

アンパンマンってヒーローじゃないの?
現実逃避しろって言われているように思うのは、
私がすっかりスレてしまった大人だからなのか。



不思議と心に響くのは、金子みすゞの詩。あれをACの広告に採用したひとは素敵なひとだ。

「こだまでしょうか。いいえだれでも」


”避難生活を過ごしておられる人々の心のケアが必要とされている。”

そんなことを言われて久しいけど、

避難生活をしておられる方々にとって、テレビはとても重要だ。
唯一の情報源であった時期もあった。未だに大きな存在であることはたしか。

みちのくには、優れた文学者が多数いる。

そのひとたちの詩。文章の一節を、淡々と朗読。短めに。

そんなCMが流れたら、どうだろう。

最初は、よくわからないひともいるかもしれない。
だけど、イヤでも聞かされるCMだ。何か伝わるはずだと思う。

そして、なにより東北のひとの心に添うことができるように思う。
震災以来、ずっと感じてきたことだ。



再放送は20日、28日。「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」

NHKが、2ヶ月かけて、福島原発の放射能の実態、原発被害の姿をまとめたドキュメンタリー。

切り取られた20Km、30Kmの同心円の矛盾。

飯舘村、福島市の事実。農家の人々のこと、そして動物たちの問題も。


今まさに始まった飯舘村の避難の問題。

未だ線量が下がらない福島市。渡利中学校の校庭、信夫山公園での高い線量に、
あらためて驚かされる。信夫山公園では子どもが遊ぶ光景が背景に映っていた。


切り取られ、意図的に編集されている他の報道と比較してみると、
誠実に、冷静に取材をしているように思える。

2号機が爆発した3月15日。
私と夫は、相馬市の叔母、南相馬市の叔父の安否に行っていたが、
あのときの空気の異常を、私も夫も同時に体感した。

翌16日は雪。
避難所に出かけると言い出した私を、
「外へ出ないでくれ」と、夫が大変な形相で止めたことを思い出す。

私たち夫婦の暮らす福島市の線量が未だ下がらないことを、南相馬に住む叔母が心配している。
「福島市から南相馬市へ避難しておいで。」

同心円の矛盾。

◆【NHK ETV特集】ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~

再放送は、
※5月20日(金)午前1時30分(木曜深夜)【総合テレビ】
※5月28日(土)午後3時【教育テレビ】

NHKオンデマンド(見逃し番組)では、
※5月16日(月)午後6時から2週間配信

◆youtube動画をまとめたブログもある。



あの子牛を助けられる道になるか? ファーム・サンクチュアリ「希望の牧場」という構想

あの生まれたばかりの子牛を救う道が開くだろうか。

◆警戒区域の家畜 飼育継続を検討 NHKオンラインニュース


「20㌔の圏内に、そのままの生態系で動物を生かしたまま保存する“サンクチュアリ”構想というのを考えています」
◆たかむら勉氏ブログより

私は、動物愛護という立場でも
気持ちのままに、動いただけの素人だし、

ましてや、
家畜としての動物たちの命や、畜産のあり方について、何かを語ることができない。
ただ、あまりに悲しい現実を、この目で見てしまったという事実があるだけだ。

どんなに頭から振り払ったところで、何度も何度も目の奥によみがえる現実の光景だ。

この政治の動きが、畜産農家の方々の痛み、悲しみを少しでもやわらげるものであってほしい。

心からそう願う。

一刻も早く。





義援金が被災者の方々へいまだに届かないこと。

昨夜の『バンキシャ!』の報道を見て、憤りを感じた方も少なくないだろう。

義援金交付申請を行っている場面。
「印鑑がないとダメ」
と却下され、帰っていく方々。

どうにか申請までこぎつけたものの、
実際に交付されるのは1ヵ月後だという役所の説明に、
言葉を失っている女性。
夫も家も失い、けれど、銀行口座からは今までどおりお金が引き落とされていく。


私は今回、支援をいただく側の立場となったわけだけど、
首都圏の友人知人たちのすばやい優しさ、

”少しでも早く届けたい”

という思いを、肌で知ることになった。それがどれだけ嬉しかったか、支えになったか知れない。

お金の額だけでなく、スピードそのものも、多くの人々の善意の表れだ。


家もなにもかも失った人に「印鑑」を求めるシステムとは・・・。

たった今のお金に不自由している人に、1ヵ月後まで待て というシステムとは・・・。


今回の課題を未来につなげるって・・・。
そんな段階ではない。

今現在、救済せねばならない人が目の前におられ、救済せねばならない命がある。

誰が悪いとか、そんな評論は今は聞きたくない。

残酷な2ヶ月のとき。20Km圏内の牛。家畜の命ってなんなのだろう。

あれから2ヶ月が経った。原発は、今日もまた深刻な状況だ。

そして、この残酷な時間を経て、国は「家畜の殺処分」をするという。

現地で犬猫救助をされているボランティアの方は今も多くおられるが、
牛を救えないのかと、動いておられる方々からの連絡が入ってくる。

被災地近隣の県などでは、被災牛の避難についての支援ももちろん行われている。
本日から計画的避難の始まる飯舘村の家畜の調査も行われているとはいう。

しかし、20Km圏内には、未だ、かすかな呼吸を続けている牛がいることも事実だ。

避難をさせるべく方々へ働きかけているボランティアの方は、

「フクシマの牛はちょっと・・・」
と断られるケースが続いていると話してくれた。それが2ヶ月経過した今も続く現実なのだろうか。


八方手を尽くし、それでも救う道がなく、
だったら、せめて子牛だけでも救えないものか。
そう考えるのは、人間として当たり前の感情だろう。
まして現場を見た人は、誰もがそう考える。


◆山口県の国会議員のたかむら氏もそんなお一人なのだろう。「たかむら氏のブログ」

既に有名人となりつつある現地のOさんは、既に20Km圏内からはつまみだされ、避難生活を送られているが、

せめて現実を伝えたいと、ブログを一生懸命更新されている。

◆牛達への手紙 ①
◆牛達への手紙 ②
◆牛達への手紙 ③
◆牛達への手紙 ④

コメントも多く寄せられている。ぜひ読んで欲しいというのがOさんの願いだ。


2ヶ月の間、私は毎晩毎晩夢を見ては、汗をかき、夜中に起きる。

地震の日のこと、
こちらをじっと見る動物の目、
人と共存し、人と生きてきた動物たちが、さまよう姿。

呼吸が苦しく、どうにかなってしまいそうな弱い私だが、
現地のOさんは、時に冗談を言い、豪快に笑う。

家畜の命、ペットの命、そして人間の命。2ヶ月過ぎた今も、彼女はまっすぐ前を向いている。

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多くの人たちの熱意と善意。20Km圏内動物救助を支える人々。その一方で・・・

福島県がようやく動く。

全国の多くの人々が、善意と情熱をもち、各方面に働きかけ、あるときは自ら危険を顧みず、
この問題に向き合ってくれたことが、国や県を動かした。


毎日新聞「福島第1原発:警戒区域内のペット保護へ 必要あれば除染」

と、一時期待をしたが、山路徹さんのtwitterによると、

今日から5月2日までの日程で始まった、福島県による20キロ圏内犬猫救出、その対象は徘徊しているものだけ。屋内や庭に繋がれている犬などは飼い主の許可が無いので、たとえ目の前にいても捕獲は出来ない。エサもあげられないそうです。



とのこと。
期待した私が馬鹿だった。
行政のやることは、所詮そんなもんなんだ。


長い間、大変な救助活動を続けてこられたUKCジャパンのブログより。
「皆様!やりました!声が届きました!!」

この団体のご苦労は大変なものだろう。神奈川県にお住まいの方で、彼らの支援ができる方はぜひ足を運んでみてほしいと思う。


一方で、現地の女性Oさんの馬が死んだ。
彼女の猫も、保護することができないでいる。

避難先が見つかり、助かったと思った矢先のことだった。

搬送中の負担、そしてOさん夫婦が避難完了するまでのタイムラグ。
20日から足を折って休むこともできないまま、精根尽きて、どうと横倒しになったまま衰弱してしまったという。夫妻の徹夜の介抱の甲斐なく、死んでしまった。

つい数日前、Oさんが送ってくれた彼の写真は、前の記事に掲載した。

周りの動物たちを助けた一方、自分の馬を守ってやれなかったと、彼女は自分を責める。

私は、彼女にかける言葉を見つけられずにいる。


Oさんのブログ

2度目の絶望ほど、苦しみを与えるものはない。警戒区域発令

とうとう今夜0時に警戒区域になることが発表された。

やむなく一度は、牛を置き去りにせざるをえなかったオーナーは、
最近では戻って来られ、あらためて牛の世話を再開しはじめていたところだった。
「死んだ牛の埋葬をやっと済ませることができました。」
と、おっしゃっていたという。

そんな矢先の「警戒区域」

現地の女性Oさんも、家を去る準備をしている。


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▲遅い北国の春の風景は、のどかで、美しい。地震による爪あとはあるものの、ここが原発20Km圏内であることなど、夢ではないかと感じる。
つい1ヶ月半前までは、ここに人々の営みがあり、生き物がそれぞれの生命を育んでいた。


一度絶望し、しかし、希望を見出し、牛の世話をはじめたオーナーに、
再び、牛たちを見捨てろというのだろうか。


オーナーが戻ったとき、子牛が1頭生まれていた。




こんなことあっていいわけない。警戒区域になるという今日

昨日、現地に暮らす女性から連絡があった。

「4月20日夕方に、圏内が警戒区域になる」と、警察・行政がとうとう彼女の元にきた。

つまり強制退去という意味になる。

このニュースを受けて、多くのボランティアの方々が1匹でも多く命を救いたいと、現地活動を続けている。
飼い主さんからの、ペットの保護要請も続いている。
そんな飼い主さんの気持ちに応えようと、
ボランティアが、原発1Km2Kmまで入って、救助にあたっている。


▼20Km圏内に暮らす女性の今日のブログ

◆最後の朝
◆南相馬市役所へ向かっています

動物愛護という観点だけではない。

この国の信じがたい現実が、今、目の前にある。



つかの間の再会 笑顔と涙 避難生活を送られている飼い主さんと保護された犬

保護することができた置き去り犬の飼い主さんが、避難先の裏磐梯から、犬に会いに病院に来てくれたと、
動物病院の先生が連絡をくださいました。
ずっと、応援し、置き去り犬たちの治療・ケアをスタッフの皆さんやそのご家族とともに、
続けてくださっている先生です。

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私に向かって、「ウーっ」と怖い顔で吠えていたこの犬の、この表情。
ほっとしたのでしょう。この写真を見て、つい涙が出てしまいました。

飼い主のご家族の皆さんのお顔を出せませんが、優しい笑顔を皆さん浮かべています。

この犬は、ハッピーちゃんという名前でした。
末期のガンであることがわかりました。あちこちに転移して、もってあと数ヶ月の命であることも。

飼い主さんの待っている仮設住宅の建設は、まだまだ予定がみえません。
もちろん、この犬を引き取って一緒に暮らすことは叶いません。

先生は、この子を引き続き預かることを決めたそうです。

私のプライベートの友人たちが、お金を寄付してくれました。
保護した犬16頭あまり。ハッピーちゃんを含め、彼らの治療費・手術代やフィラリア・狂犬病予防注射、
一時預かりをしてくださる方への物資購入等、
このことに、友人たちの気持ちを使わせてもらうことにしています。

「家もなにもかも失った。だけど犬を助けてくれた。生きる希望をありがとう。」

そう言ってくれた飼い主さんがおられたという話を聞きました。

原発事故により、長い避難生活を続けておられる方々の悲しみ・苦しみ。それが原点にある。
それを私たちは、忘れてはならない。



20Km圏内置き去り動物関連情報 現在の状況 4月12日

このブログを読んでくださる方から、あらたに現地入り・支援のお申し出を多数いただいておりますので、
私の把握する限りの現況をご報告します。

【現地入りをお考えの方へ】
私がSOSを出した3月末とは状況がかなり変わりました。

ボランティアの現地での情報共有などもできるようになり、それぞれの方々がご自身の判断で、
保護・エサやり・保護先の確保・届出など、様々な活動をしておられます。
既に全体像は、私にもまったくわかりません。地域も広範囲に及んでいます。

ただ、大きな余震も続き、道路状況・検問の状況等、刻々と変わっています。
青ざめるような危険を体験されている方もおられます。
道路が断裂しているところもますます増え、携帯電話もつながりにくく、非常に危険なエリアがあります。

個人での現地入りは、非常に危険で、悪夢のような光景を見てしまうことも多いと思います。
「鎖でつながれている犬」を保護するのか、「住居侵入という問題にどう責任を持てるのか」
目の前のことは、非常に厳しい判断を迫られます。責任も負わざるをえないでしょう。

無理をして現地入りを考えず、是非、ご自身の判断で、全国の行政に・マスコミに・あらゆる方面に
この20Km・30Km圏内で生活をされておられる住民の方々、長い避難生活を送られている方々を、
そして、牛馬、犬猫の救援を呼びかけていただけたら、それだけでも大きな力になるかもしれませんね。

南相馬市小高地区で、孤軍奮闘しておられた女性のブログ

【保護先として検討していた土地のこと】

福島市内で、一時保護先としてお借りする土地の話は、現在まだ進んでいません。
土地そのものは、とても理想的な環境で、周囲に民家もなく、昼間などはのどかな風景で、
すばらしいところです。

こういったことで動いておられる団体の方と連絡を取りました。
本日も現地に入り、保護活動をされているとのこと。

遠方へ搬送することは、やはりためらっておられる様子で、
福島県内の方々の協力を得ることができれば、一番いいのだが・・・とも
おっしゃっていました。

水道・電気の確保・スタッフの寝泊りする場所の確保・ボランティアの方々の協力

そういった条件が整えば、建設等も考えておられるとの回答をいただきました。
引き続き、その団体との連絡をとっていきます。


【応援してくださっている動物病院の先生からのご報告】
■病院で預かっている犬「柴犬りゅうちゃん」の飼い主さんが会いにきてくれました。
飼い主さんは大変喜んでおられ、
保護してくださったボランティアの方に感謝したいとおっしゃっていたそうです。
ありがとうございました。飼い主さんは、今も避難所におられるので、一時預かりをしてくださる方を病院で探してくれています。

■その他の犬
一時預かりをしてくださり、引取りを含め考えてくださる方を病院で探してくださっています。

■ワクチン・治療
血液検査・ワクチン等、骨折、その他の病気についての治療をしてくださっています。
治療費について、寄付金の募集を考えています。(私のプライベートで)

【それぞれの方の保護した犬のデータ管理】
■現在、個人の方が保護した犬について、情報をまとめられずにいますので、
これについて、写真・保護した場所・状況・届出状況等、のデータ集約を考えています。

【保健所の届出等について】

現地での保護活動をされている方は、保護先がどこであろうと、保健所への届出をお願いします。

また、保健所に預けた犬については、里親探しにたどりつけるかどうかは、責任者の有無が大きなポイントになるようです。
保健所で保護してもらう場合は、届出の際、ご自身が責任者になってください。

でないと、ちょっとした皮膚病や噛み付いたなどの問題があるだけで、人間に危害を及ぼすとして、殺処分になってしまう可能性があります。
預けっぱなしにせず、追跡調査も含め、ご自身の保護した犬を見届けるようにしてください。

ぜひぜひお願いいたします。


この叫び声は一生僕の頭から離れることはない。 南相馬市小高区 置き去り動物・現地入りした方の声

4月4日に神奈川県からご姉弟で現地入りしてくださった方のメールです。
※ご本人に許可をいただき転載しております。ほぼ全文です。


当日は住民から苦情が有るとの事で保護はできませんでした。

次にOさんが面倒みている牛舎へ行き水、餌やりです。
到着した時、人間が来るのを待っているのでしょうか。

牛が一気に入口に集まってこっちを見ているのが分かりました。
ここで初めて、餌などあまり食べてないんだろうなと感じました。

その後、別の所の牛舎も見たのですが、ここがほとんど人が来ていないようでした。
牛舎は半分倒壊で中をのぞくと数頭息絶えていました餌も水も無くこの状態で何日も
いるのでしょう。

入口付近の牛に餌をあげましたが全ての牛に食べさせることができませんでした。
貰えない牛たちは聞いたことない声で鳴き叫んでいました。

悲しくて、悲しくて自分の無力さを感じました。

この叫び声は一生僕の頭から離れることはないでしょう。


それからOさんが買い物ができていないみたいなので、放浪犬に餌まきをしながら2店舗回って戻りました

帰ってからOさんの馬に餌をやり終え夕方の6時頃、帰宅の途につきました。

途中で放浪している20~30匹ぐらいの牛と遭遇しました。200メートル先に水田があったので試行錯誤しながら、水田までおびき寄せましたが、あと少しの所で回りが暗くなってしまい残念でしたが、
諦めて神奈川へ帰りました。

帰宅後、ネットで栃木県が避難地区の牛を受け入れ表明していることが分かりOさんに連絡いれました。

自分でも栃木県庁にTEL確認しました。多少条件があるようですが、うまく行く事を願っています。

子牛も沢山いました。こんなことで動物たちを餓死せせたくはありません。

これからも出来ることがあればやって行くつもりです。大した事は出来ませんでしたが本当に行ってよかったと思いました。



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▲野良牛となった牛たちが、道路を歩く。

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20Km圏内置き去り犬 病院で手当をうけている犬たちの報告 

現地活動のことで、忙殺され、ブログ遅れがちですみません。
4月4日(月)6日(水)応援し、支えてくださっている福島県内の動物病院にて
治療やケアをしてもらっている子たちです。

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▲上の2匹は、放浪しているところを保護。元気です。仲良しなので、もしかしたら一緒のおうちの子かもしれません。飼い主さんが見つかるまで一時的に預かってくれるという同病院の患者さんが申し出てくれています。

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▲大型のこの子は、やはり飼い主さんが見つかるまで、病院のスタッフの方が預かってくれています。
体重27kg 黒 長毛 雑種です。(未去勢オス)高齢だと思います。とても温和です。

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▲現地のOさんが、一生懸命看病し、やっと少し回復したと思っていた矢先に、保護に失敗し、
その後の2日間で骨折をしてしまった子。病院のご好意で、治療をしてもらっています。痛々しく、人間を警戒していたようですが、Oさんやボランティアの方々のおかげで、おとなしくお利口な子に戻りました。
Oさんは、この子をとっても大切にしていました。放浪犬たちが群れをなしている中にいました。
Oさんに出会えたことが、この子の幸せでした。


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▲(小塚 股関節悪そう)メス すこしこわがり
この子は怖がりで昨日シャンプーできませんでした。体重は10kgです。外飼いが良いかと思います。
やはり飼い主さんは見つかりそうもありません。治療やケアが済んだのち、里親さん探しを病院のほうでしてくださるとのこと。


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▲(葛尾 野行 メス 妊娠可能性あり)茶色 メス シャンプー済み
とても人懐っこいです。昨日も車の助手席に乗って来たようです。
保護した際オスと一緒にいたので、妊娠の可能性も有とのことでした。妊娠の検査等、やはり病院のご好意で
見てもらっています。飼い主さん探しは難しそうです。



今、最後まで読んで欲しい。20Km圏内に飛び込んでいった女性の言葉 福島県のひとに。全国のひとに。

4月3日に、私の声に応じて、福井県から往復24時間以上かけて、20Km圏内にかけつけてくれた女性から、
メールをいただきました。
ご本人の希望により、長文ですが、全文紹介します。


福井に帰ってきて以来、あまり眠れていません。
目を閉じれば、さまよう犬たちの姿が見えます。
つながれていないのに、家の玄関で、飼い主の帰りをずっと待っている犬たちの姿が見えます。
じっと悲しそうな目でこちらを見ていた牛たちの姿が見えます。

やせ細った子牛と、その子牛をかばうようにしていた骨だらけになった母牛。
運んだ水を競うように飲んだ鶏の姿が見えます。餌が見当たらず、近くに生えている草をあげました。
お水はどれだけ持つのだろう・・・
あの子たちはどうしたのだろう・・今日は誰かにお水や餌をもらえたのかな・・
と思うと、涙が止まりません。

現場に残って動物に餌をやり続ける女性のことを思うと涙がとまりません。
その女性を助けるために、辛い気持をこらえながらボランティアの手配をし、メッセージを送りつづけている木幡さんのことを思うと、
どんなに辛いだろうと思うと、涙がとまりません。

ゆっくりと餓死していく犬や猫、鶏、馬、牛たちも可哀そう。
それを助けようと必死になっている人たちも辛いよね。悲しいよね。苦しいよね。
できれば、こんなことには関わりたくないよね・・・辛い光景なんて見たくないよね。

私もわざわざ福井から福島に行く必要なんてなかった。

でも、いたたまれなかった。
みなければよかったけど、行かなければよかったと思うけど、
でも、行ったから救えた命があったと思うのです。

福井に帰ってきてから、「もう忘れよう」「見なかったことにしよう」とも思いました。
年間30万頭の動物が殺処分される日本で、数100頭の犬猫なんて、ほんのわずかな命かもしれない。
でも、どうしても忘れられません。
助けられない命なら、あきらめます。でも、彼らの命は助けられる。まだ間に合う。あきらめきれません。
もうこれ以上、命が無くなっていくのを見たくないです。

動物の権利が保障され、動物のための法律が確立されているヨーロッパ、
とくにドイツとは違い、日本の動物愛護活動って本当に遅れていると思います。

2004年にアメリカ南部に大型ハリケーン「カトりーナ」が襲来したとき、多くのペットが被災しました。
避難者が避難所にペットを連れていくことができず問題となり、その後、動物愛護団体が中心となって
「災害時にペットの避難所を飼い主の避難所の近くに設置する」法律を作成したのです。
海外ではそれくらい、動物の権利が保障されています。 動物の命の重さが認識されているのです。

だから、動物のニュースは世界をすぐに巡るのです。
津波直後によりそう2頭の犬がニュースになりましたよね?
あのニュース、ABC,CNN,BBC,などの大きなニュースチャンネルで何度も放送されているのです。
YOUTUBEでは何万回も見られています。
3週間も屋根の上にのって海上を漂流していた犬のニュースも、すぐに世界を駆け巡りました。

海外の友人から何度もメールがありました。

ジャーナリストの山路さんが実際にレスキューに行ったこと、素晴らしと思いました。
ジャーナリストである前に、一人の人間として行動した、という言葉に偽りはないと思います。

栃木県知事が命の尊さをよびかけて、「牛の受け入れ」を表明しました。素晴らしいことだと思います。
「人の命よりも牛か」という批判を浴びられているかもしれません。県政のトップの発言として、勇気がいることだと思います。 

では、福島県は?
今までのところ、福井からでしかわかりませんが、
私が聞こえる限りでは「避難地域には危ないから入らないでください」というメッセージだけです。

危ないことは承知で入っている、そうせざるを得ない避難者の気持ちを理解はしてもらえないのでしょうか?

被災者のケアで手が回っていない状態であることは容易に想像できます。
新たな避難先を手配するのが優先になっているのもわかります。

でも、だからといって、餓死寸前の命が無視されてもいいわけではありません。
多くのボランティアがどうして放射能にさらされる危険をおかしてまでなぜ動物を救出するのでしょうか?

なぜ多くの避難者が、ペットに餌をやるためにこっそりと自宅に帰っているのでしょうか?

彼らにとって、大切な命だからです。その重さに優劣はつけられないからです。 

避難生活はどれだけ大変かと思います。
不安な中で生活されていると思う。
そして、ペットが餓死していくのを黙ってみていくしかない・・・
避難者のみなさんは、どれだけの心痛を味あわなければならないのでしょう??

「避難地域には危ないから入らないでください。
>>ペットに餌をやりたい方は、特別な防護服をきて、担当者とはいるようにしてください」

という対策はとれないのでしょうか?

「非難地域には危ないから入らないでください。
>>ペットを連れだしたい方は、自衛隊に頼みますので、住所とペットの特徴を申し出てください」、

という対策は取れないのでしょうか?

「避難地域にはあぶらないから入らないでください。
>>指定のペットの一時避難所に預けてください。ペットの輸送は行政が担当します」

という対策はとれないのでしょうか?

「被災地域でもないくせに生意気言うな」という非難の声があがることでしょう。

でも、いずれ、数100頭の犬猫がゆっくりと餓死していったニュースが、世界をめぐるでしょう。

津波のように一瞬にして命を奪ったのならまだしも、助けられる命なのに、助けなかったこと。

原発のことが話題になる限り、餓死した動物のことも話題なるでしょう。
そして、それが住居もペットもなくした避難者に大きな傷を残したことも、ニュースになるでしょう。

新潟から福島に向かう磐越自動車道の途中で見た、磐梯山の勇壮な姿は素晴らしかったです。
鳥肌が立つほど、迫力がありました。
災害さえなければ、きっと美しい自然や見どころがたくさんある県なのだろうな、と思います。

それが原発事故で一瞬にして奪われてしまった。
福島の名前は、原発事故で汚されてしまいました。

チェルノブイリのように、福島の名前は、原発事故現場「FUKUSHIMA」として、伝えられていくと思います。
残念ながら、これから何十年にわたり、ずっと原発事故の場所として記憶に刻まれると思います。
自然の美しい県なのに、とても残念です。

でも、もし、もしですよ、

福島県が一生懸命に、被災動物たちを救ったら、それもまた、人々の心の中に残るのです。

「原発事故にあい、無数の動物たちが餓死した福島」か、

「原発事故で多大な被害をこうむったが、行政や国が一致団結して被災動物たちを救った福島」か。

それを決めるのは、福島県と国です。

ボランティアのできることには限りがあります。
国や行政が力を貸してくれれば、まだ生きている動物たちを助けることができるかもしれません。

福島県と国が一致団結して、福島の素晴らしさを世界に示してほしいです。

あきらめきれない私は、引き続き、世界に向かって救援依頼のメッセージを投げ続けていきます。


置き去り犬救援活動 4月4日~5日まとめ 南相馬市小高・浪江エリア

大変多くの支援お申し出、情報のご提供、またまたこの場を借りて、心から感謝申し上げます。
ようやく福島市周辺も、ガソリンが手に入るようになり、
動けるよ!と、手をあげてくださる方も増え、福島県の方々からも応援いただくようになりました。

”現地入りするよ!”
”避難所方面、動くよ!”

と言ってくださる方に、優先してメールにてご連絡等差し上げておりますが、
物資支援のお申し出・情報提供などに、なかなかお返事ができず、本当に申し訳ありません。

「現地の状況がわからない」
「いつも心を痛めているのに、どう支援したらいいかわからない」

といった声を多くいただきますので、あらためて、私の把握している限りの状況をご報告します。
(現場からの報告です。)


◆4月4日(月)
東京から支援に来てくださった姉弟の方
現地で孤軍奮闘している女性Oさんを助けてくださいました。
エサやり、買い物手伝いなどのほか、
しかるべき判断のうえ、保護などもしてくださいました。

また、ずっと応援してくださっている動物病院の方々が、現地まで引き取りにきてくださり、
治療等、ケアをしてくださいました。
飼い主さんがはっきりしそうな子については、
同病院のスタッフ・患者さんなどが協力してくれ、一時預かりをしてくださっています。


◆4月5日(火)
首都圏より駆けつけてくれた女性2人が、Oさんを支えてくれました。
この日は、ずっとOさんが看病し、エサやりを続けていたのに、保護に失敗し、姿を消してしまって
いた子を保護してくれました。
見失ってしまった間に、前足を骨折していたようで、哀れでなりませんが、保護できて本当によかった。
この子のほかに、やはり怪我の子を2匹保護することができました。
保護した子などについての写真等は、別途お知らせします。
あとは、この子らの里親探しです。これは私の仕事です。


◆本日・4月6日(水)
今日は、栃木県より駆けつけてくれた女性2人組。
福島市より飛んでいってくれた女性。
やはり首都圏から来てくださった男性。

5日に保護した子の、動物病院への搬送・そしてあらたな保護。
のちに飼い主さんが現れても、会えるよう、気配りをしてくださっています。

また、神奈川県より駆けつけてくれた男性・女性グループ。

別行動で7匹保護し、神奈川県へと引き取ってくださいました。
このまま見過ごすと、危険であると判断した子についてのみ保護してくださいました。

動物への愛情・そして良識ある判断で、いつか現れるかもしれない飼い主さんへの対応・公的機関への
届出など、細やかに気配りしてくださる姿に、感動を覚えました。
また、鎖でつながれている子、家の敷地内にいる子などについては、苦悩したようですが、
エサやりにとどめたようです。
本当にありがとうございました。

また、現地入りする個人の方々が連携していこう!という動きもあります。
外国から、このために来日してくださる方もいらっしゃいます。いったい、このパワーはなんでしょう!


さて、現地での救援・救助活動がどんなものなのか、わからない。
立ち入り禁止エリアだから、大丈夫なのか。

等、お悩みの声も多数いただきます。


たしかに、いつ、本当に立ち入りが一切できなくなるのか。
保護先の確保・飼い主さん探し・里親探し・等々、課題ばかりですが、

”1匹でも多くの子の命を救いたい”
と、かけつけてくださる方が、現場でなにを感じたのか。なにを思ったのか。

できるだけご報告していきたいと思っています。

もともと、自分が、被災地・福島にいる意味があるはずだと、模索していた道の先に、
この問題にぶつかった私自身です。

ほんの20日前まで、絶望すら感じていた私ですが、少しずつ光がさしてきたような、
救われる思いを感じています。










避難所への告知・20Km・30Km圏内置き去り犬猫 もうひとつの救助の形 南相馬市小高・浪江・双葉・大熊町

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API通信社の山路徹さんの犬猫救出作戦を知り、
早速、3月30日(水)福島市内の一部の避難所へ、上記のようなチラシを持っていきました。
(あづま総合運動公園・福島県自治研修センター・福島明成高校・福島南高校・福島高校・福島西高校のみ)

福島市内には、今日現在3000人あまりのかたが、25箇所の避難所へそれぞれ長期に渡る避難所生活を送っておられます。

犬を連れて避難されている方も多くいらっしゃいます。
私の以前の「避難所リポート」を見てくださればわかりますが、犬は避難所内には入れないので、
車の中で寝泊りをしています。寒く(当時はかなり寒かった)それが辛いとおっしゃる飼い主さんたちも
多くいらっしゃいました。

とはいえ、その後、私のほうには直接連絡がなかったことや、現地の救助活動のほうに、
すっかり頭がいってしまっていましたが、
昨日、避難所への告知についてのコメントをいただき、また、シールを製作してくださるというお申し出や、
福島市以外の避難所への告知という支援を申し出てくださる方も。
この場を借りて、感謝いたします。ありがとうございます。

ひとりで動いていた10日前が信じられないです。

さらには、昨夜、API通信社の方より、「かなり福島市の○○避難所からの問い合わせがきている」
という情報をいただきました。

さらにさらに、応援いただいている伊達市の動物病院の方からも、
「避難所(川俣)で、こういった情報がない」という声を聞いたというお話をいただきました。

そうか!誰も見てくれそうにない雰囲気だったけど、あのチラシが効果があったのだ!
飼い主さんが自ら動いてくださることが、犬たちにも一番幸せなことなんですよね。




20km圏内・30Km圏内置き去り犬 4月3日の状況 南相馬市小高・浪江

4月3日(日)の状況です。(※あくまで私が把握している範囲です。)

3日も多くの方が遠方からかけつけてくれました。
福井県・Sさん、東京からHさん、埼玉のMさん、栃木のIさんは2度目。
愛知のTさんは2泊してくれたそうです。

現地で孤軍奮闘しているOさんのサポートをしてくれた方。
独自に動いてくれた方、
もくもくと目の前のことをやってくれる方。
保護団体UKCジャパンと共に、神奈川まで犬を連れて行ってくれた方。

さまざまな形で、救助・保護活動がされました。

具体的には、
・エサやり、Oさんの手足になる、放浪している子の保護のほか、
現場でのさまざまな状況に、それぞれの方々が判断・連携などしてくださったようです。
※私は、後方支援です。

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▲この子は、「りゅう」飼い主さんもわかっています。3日の朝にはいましたが、その後もしかすると
保護されてしまったかもしれない子です。

※飼い主さんから、「うちの犬がいなくなった。」といった問い合わせも保健所にきているといいます。
この子に関しては、現地のOさんが飼い主さんに連絡を取ってくれています。

保護が必要と判断した場合、
おそらくこの家の子だろう・・・と思われる場合は、「保護しました。連絡先はこちらですよ。」
という張り紙を皆しています。しかし、それをしなかったり、保護団体の名前を語ったり、といった
トラブルが出ていることも事実です。

”哀れに見える子をなんとか安全な場所に移してあげたい”

という気持ちは、動物を愛するひとなら皆同じでしょうね。

とはいえ、保護・救助のしかた、判断・保護したときの情報、等々、課題もあるようです。
現地に行こうと考えておられる個人の方々の、冷静なご判断を願っています。

以下は、独自に保護活動をしてくださった埼玉・Mさんよりいただいたご報告です。
(※ご本人の許可をとって転載しています。)原文のままです。


南相馬市原町区橋本町に住んでいらっしゃる方が
自分のわんちゃん3匹、+保護したわんちゃん1匹と近所の方の猫、
周りを歩いている犬たちの餌やりをしているそうです。
その方からお話を聞きました。
『ここの地域が屋内退避から自主退避区域に変わってから、たくさんの人が避難してしまった
そのときに、ご自分のペットを放してきました。中には小型犬もいてチワワをいま保護しています。
ここは大きな公園があるので、原発のことがある前からよくペット(子犬、子猫)が深夜に捨てられたり、
車できて、ペットを置いていく人がいました。ここは最近までセブンイレブンがあくまでは、お店も
何も無くて、物資もこずペットの餌ももちろん手にはいりませんでした。私も避難をするように言われましたが
犬たちがいて、3匹一緒には保護できないと市役所から言われたので避難しません』
とのことでした。
また『ここにはお店もない、仕事もない、どうしていいかわからない』ともおっしゃっていました。
私たちはチワワ用の専用フードとドライフード(成犬用)を置いて、またくることをお約束して帰ってきました。

また保健所の方の話では
『毎日何十頭の犬が連れてこられています。自主退避区域に変わってまた頭数が増えました。飼い主の方が
ほとんどのペットは連れて行ったと思いますが、放たれているペットは1000頭くらいではないか。。。でも
まったく検討がつかない。毎日のようにペットをお家に置いたまま避難された方から救助してくれ、と連絡絶えません。
今、保健所の保護数は満員で、通常使っていない場所にも10頭ほどいます』とおっしゃっていました。
また、『職員もみんな被災者で避難所から職場へ通っています』とおっしゃっていました。それをおっしゃっていた方も
お家にはもう住むことができず、保健所に地震後からずっと泊まっているそうです。

南相馬市の方はとても親切で優しく、心が温かい方ばかりでした。
福島県にはいり、南相馬から何十キロか先ではコンビニエンスストアでたくさんのものが販売
しており、ガソリンスタンドもあいていました。
せめてここまでこれれば、、、と思いました。

また、南相馬市原町区の山間のほうではかなりのわんちゃんがいました。
ここは20km圏内との境から30km圏内になります。
私が回ったのは20km圏内に入らない自主退避区域がほとんどでしたので、
そこにもたくさんのわんちゃんがいるようです。
まだ、飼い主さんが避難されてから時間がたっていないので
元気なわんちゃんが多いように感じました。

どのわんちゃんもお家から離れず、飼い主さんを待っていました。
そしてだんだん群れになって、生活しているようになっています。
犬同士お互い助け合って生きているように見えました。


20Km圏内。ボクが現地で思ったこと。4月3日 南相馬市小高、浪江

私の呼びかけに応えてくれた支援の方からいただいたメールを一部ご紹介します。
私の感想を入れるべきでないと思いますので、
ほぼ原文ママです。

※個人名等、一部編集しております。


肉牛のところに行ったら持ち主の方がいらっしゃってました。
3日に一回くらいは来れるかも知れないとのことで救われる気持ちになりましたが、
おそらくほぼ無価値の牛を飼養していくことになるこれからのことが心配でもあります。

その後昼は地元の方の手伝いで厩舎の掃除など。

夕方からOさんと犬のエサやりと保護をしました。

==省略==

近くで音がしたので探して行ってみると、大きな黒い犬が炊飯釜をくわえて歩き回っていました。

玄関に張り紙があったので見てみると、
西日本のボランティア団体が前にエサを与えてくれていたようですが(日付無し)
やはりかなり飢えていたようでした。

他の犬については時間も無いうえに夜間に山道に入っていくのは無謀過ぎたので諦めました。

葛尾村~田村市の町外れの辺りもやはりたくさん犬が残されている感じがします。

夜20時過ぎですでに水に氷が張っているので環境も厳しい。

今避難所にいる方からもっと情報が集まってくればいいのですが、
やはり難しいのでしょうかね。

またボランティア団体も連絡をとりあって効率的に動ければ良いのになとも思います。



置き去り犬の救助について考える。

20Km圏内・30Km圏内に、置き去りにされた犬猫の救助、保護活動が、
1週間足らずの間に、大変多くの方々や団体などの救助・救援活動が現地入り、本日も続けられています。

しかし、”放浪している犬猫については、おそらく今後、ますます増えるであろう”

というのが、現場の印象です。


飼い主を失い、けれど、その家から決して離れようとしない犬・猫。

私たちから見ると、それはあまりに哀れな姿に見えます。
だから助けたい。
そう思うと、いてもたってもいられない。多くの動物愛好家はそう思います。
私もその一人です。

鎖でつながれたまま、飢えている子が目の前にいたときに、
私たちの心は、張り裂けそうになります。

だから、なんとか保護したい。救出したい。そう思ってしまいます。

今回の原発事故という特殊な状況により、避難生活を強いられている飼い主さんたちも、また苦しんでいることでしょう。

私たち個人が、継続してエサやりを続けることで、
いつか飼い主さんたち住民がこの町に帰ってきたときに、生きて飼い主さんに会えたら・・・

たった一人で、エサやり・保護を続けてこられた現地の女性Oさんは、もうすぐ東京に帰らねばなりません。

その後のことを、考えています。
保護はできなくても、私は土日は夫とともに彼女なきあと、
エサやりだけでも継続していこうと思っています。

◆現地入りして、路上を歩いている犬を保護してくださった方のメールです。
※ご本人の許可を取り、転載しております。
しかるべきところに保護してくれています。飼い主さんが見つかることを祈っています。

今日のところは一度帰りますね。
そちらまで行けずすみません。
かなりのひどい状態に始めは涙が止まりませんでした。とりあえず今日、保護出来た二匹画像です。
★1匹目の保護わんちゃん、仮名たろくん オス★
6号の道路に突然現れて引かれそうなところを保護しました。(福島原発から40kmくらいのところ)
青の首輪、大型犬です。
毛並みも色、歯も綺麗でとても人懐っこいわんちゃんでした。
海のほうを見ては悲しそうな顔をしていたので、お家はあちらだったのかもしれません。

★1匹目の保護わんちゃん、仮名マッチン メス★
南相馬市原町字片倉で2匹で歩いていました。(20km圏内の境目あたり←保健所の方より聞きました)
青の首輪 細めの中型犬




image2.jpgimage.jpg

今日保護できたわんちゃんは2匹、餌、水やりはたくさんのわんちゃんに
あげることができました。

私たちが持っていった物資は
ドライフード ウェットフード ジャーキー 水
(保護するにはジャーキーが食いつきがよくてよかったです)

※私たち二人は6号沿いから30km圏内にはいり、原町区の一部周り→原町区橋本町で
現地の餌やりさんのところへいき→原町区の山の中へはいっていきました

南相馬市原町の山間の地域は検問もなく、犬がかなりの数歩き回っています。
お家につながれているわんちゃんもいました。
畑の野菜を食べていた様ですが、それも底をつきそうでした。
威嚇していたり、怯えて保護できなかったわんちゃんは
餌、お水を与えてきました。

※※今保護、餌、水を必要としているわんちゃん※※
わんちゃんの特徴とだいたいの場所をみてきました。
私が回ったのは殆どが、原町区山間です。
20kmに入るか入らない地域から30km圏内です
来週土、日にはそちらへ行けると思うのですが、もしどなたか
保護、餌やりできましたらお願いしたいです。
よろしくお願いします。




あらためて支援をお願いします!20Km圏内置き去り犬猫の保護・エサやり

4月7日(木)のみ。

福島県南相馬市小高区にて、
置き去りにされた犬猫のエサやり、保護、等、車で動ける方のご支援をお願いします!
現地で孤軍奮闘しておられる女性Oさんの手足となってくださる方のみ、
お願いいたします。



【追伸】私たちが3日前に、お願いして保護してもらった子達の写真が!!!!

UKCジャパンのブログ/「(4/2)活動・保護された子たち」

あたたかそうな毛布や神奈川のボランティアの皆さんに、世話をしてもらっている姿を見て、
うれしかった!うれしかったよーー!!

UKCジャパンの理事ならびにスタッフの皆さんに、あらためて感謝しています。

20Km圏内置き去り犬・猫 昨日4月2日の状況と本日

まず、昨日の状況報告です。(私は後方支援です。)

愛知よりTさん、東京よりMさんお二人、福島市よりKさん、東京Aさん、
皆、遠方から来てくださり、現地の孤軍奮闘していたOさんを助けてくれました。

Oさんが保護できずやむなくエサやりや看護をしていた子たちも、彼女たちの協力と、
またしても、UKCジャパンの熱い支援によって、救助されました。

私は現場にいませんが、彼女たちの奮闘ぶりをOさんから聞きました。
あらたな犬たち、衰弱した子犬もいました。

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▲UKCジャパンの救助活動の様子

CA3F0090.jpg

▲限界だったのだろう。やっと声を出したため、Oさんがそれに気づき、救助できた。
やせ細って、UKCジャパンのメンバーから、20日ぶりくらいなのだろうか、エサをもらい、
夢中で食べる姿。泣くとOさんに怒られるが、つい涙が出る。

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▲この子も神奈川県寒川へ。


そして、本日。
Oさんは心身ともに疲れていること、そして彼女の滞在期間もあとわずか。
彼女を中心に動くことは、あまりに負担が多すぎると判断し、応援に来てくださる予定の方々に連絡を入れる。

福井県から12時間以上かけて、夜現地入りしてくれたSさん、
東京のHさんは、独自に動くことを覚悟のうえ現地入り、お一人で1頭保護。
埼玉のSさんは、すでに路上で1頭保護。
栃木のIさんは、2度目の現地入り。今日も牛の世話をしてくれているようだ。

一番懸念されている保護先について、私は現地と連絡を取りながら、現在待機。保護先が見つからない子については、自宅に連れ帰るつもりだ。

衰弱している子犬、怪我をしている子たちを、
やはり応援を申し出てくれた、福島県伊達市の動物病院に搬送する予定。

まだまだ現地では、それぞれの方々の判断で救助活動が今日も始まっている。


【※追加情報】
家に帰れないと判断した飼い主の方々が、苦渋の決断でリードを離し始めたようで、
今まで、隠れていた犬たちが街道沿いに出てきている模様。
本日も、続々保護されているようだ。
明日以降、ご自身で保護できる方々の救援を個人的には望んでいます。







置き去り犬・猫 本日の状況と、飢えるのを待つ牛馬の画像

私のブログにて、ご支援のお申し出をくださった皆様へ

本当にありがとうございます。
本日も、全国から車を飛ばし、ガソリン補充に苦労し、検閲を飛び越えて、放射能を恐れず現地にたくさんの人々が来てくれています。

一個人の私の呼びかけに、遠方の方々が耳を傾けて、すぐに行動してくれる。

人のパワーってすごいな!
そう感動するのと同時に、もうタイムリミットが近づいていることを
認識せざるをえない状況にもなってきました。

事態は、1日1日と変わってしまい、国がどのような指示を出すのか、20Km圏内に立ち入ることがいつ完全にできなくなるのか。封鎖されるのか。
それが、現場で一番懸念している点です。

月曜日になったら、立ち入れるのか。
ここが最も気がかりな点です。

せっかく車を飛ばして来てくださるのに、どうしても立ち入れなかったでは、
あまりに申し訳ない。

正直、悩んでいます。

今朝、すでに現地入りしている東京の女性から電話がありました。

「甘かった。どうしようもない無力感を感じている」
と言っていました。彼女もまた、この20Km圏内の現実の一端を
見たのでしょう。
それほどに、多くの犬・猫・牛・馬がいます。

多くのレスキューが来てくれていますが、全ての家々を見て回ることは困難。
そして、
保護できる場所の確保、移送手段、皆衰弱していますので、それらを
見てくださる獣医さんの確保・・・等々。

私は今日、その調整に動くつもりでいますが、
実に困難です。

理想ですが、南相馬市からさほど遠くない場所の、一時保護先の確保!
これが急務です。福島県の動物関係の皆さん、どうか、場所の一時提供を!!!

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▲ようやくおっぱいから、草を少し食べられるようになった子牛。
傍らには、母牛の死骸が横たわる。

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▲経済動物としての牛の命をどう考えればいいのか。保障の問題、畜産を分かっていない私にはとてもわからない。だけど、目の前の命を見てしまったから、ただ、わずかに残る餌をやる。
飢えた牛たちが、夢中で草をはむ。

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▲Oさんが飼う馬やポニー。
この厩には、10頭の馬がいる。彼らは20Km圏内を離れることができない。

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たった一人で、犬・猫・牛・馬を世話してきた、Oさんのブログ(ぜひ読んでください。)

原発の同心円

時が止まった地区


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ご当地目玉おやじの収集ブログです。

クネ

神奈川県鎌倉市で全国のご当地に思いを馳せていた私ですが、夫の転勤で福島県福島市に暮らすことになりました。
通常は地域限定目玉おやじのストラップのコレクションと旅ブログですが、3.11以降、すっかり原発事故・震災関連記事ばかりになってしまいました。

いつか、またご当地に思いを馳せる日がくるでしょう。

当ブログは・・

伊達市の獣医さんのブログ

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